仕法改革

370 ~ 371 / 686ページ
 藩財政の窮乏を糊塗するもっとも安易な方法は、領民より借金することである。資金調達のおもなものを表示すると次表のようになる。一見して安政元、二年は藩財政のいちじるしく窮迫した時期で種々苦心を重ねていることがわかるであろう。
 嘉永七年(安政元年)五月十八日城代家老井上織部自らが、自宅に村役人を集め仕法改革につき協力を依頼した。この仕法の内容は五年間藩庫に入る年貢米とひきかえに月割りで農民から出金させようとしたもの(高林家文書『諸用記』嘉永七年五月二十一日条)であった。そのため篠ケ瀬(ささがせ)村庄屋篠ケ瀬四郎左衛門、橋爪(はしづめ)村庄屋山本十右衛門、早出(そうで)村(以上当市内)庄屋中村八左衛門、宇布見(うぶみ)村庄屋中村重三郎の四名を世話掛り庄屋惣代に任じた。【仕法月割金】月割り上納金の割りふりなどの詳細は不明であるが、六、七月ごろには仕法月割金の徴収をはじめている(『高林家日記』)。【中止願】しかし発足してみると種々不都合のこともあったようで、有玉下村では「右月割金村々割合之処依怙有之」(『高林家日記』三月九日条)と繰り加えし代官所に願書を提出している(『高林家日記』七月九日条)。【両全講新設】ところが十一月一日村役人を代官所に集めて当五月村々へ月並調達金を申しつけたが、このままでは追々借財が増えるばかりで、藩務・家中扶助・窮民の救助なども困難になるので両全講と称する積立をしてほしい。いま行なっている。日並調達金は来年から中止すると説明した(『浜松市史史料編三』)。
 
年月内容理由対象通達者
嘉永2.810月までに50両 高林左衛門代官
〃6.12100両殿様入部高林左衛門代官3人
臨時物入手代3人
 不明高林維兵衛作左衛門ら 
安政元5月並調達金勝手向不行届領内村役人多数家老井上織部代官ら
5ヵ年間
〃11両全講借財増加代官3人
来年より月並調達金中止
〃12石代金担保大地震出費増大  
2.6両全講中止   
10不明江戸藩邸被災のため有力農民手代回村
11調達金 重立世話掛71名 
3.5調達金 村役人代官
8調達金災害入用莫大  
4.1調達金 村役人伏谷又左衛門
(『高林家文書』『高林家日記』による)