嘉永七年(安政元年)五月十八日城代家老井上織部自らが、自宅に村役人を集め仕法改革につき協力を依頼した。この仕法の内容は五年間藩庫に入る年貢米とひきかえに月割りで農民から出金させようとしたもの(高林家文書『諸用記』嘉永七年五月二十一日条)であった。そのため篠ケ瀬(ささがせ)村庄屋篠ケ瀬四郎左衛門、橋爪(はしづめ)村庄屋山本十右衛門、早出(そうで)村(以上当市内)庄屋中村八左衛門、宇布見(うぶみ)村庄屋中村重三郎の四名を世話掛り庄屋惣代に任じた。【仕法月割金】月割り上納金の割りふりなどの詳細は不明であるが、六、七月ごろには仕法月割金の徴収をはじめている(『高林家日記』)。【中止願】しかし発足してみると種々不都合のこともあったようで、有玉下村では「右月割金村々割合之処依怙有之」(『高林家日記』三月九日条)と繰り加えし代官所に願書を提出している(『高林家日記』七月九日条)。【両全講新設】ところが十一月一日村役人を代官所に集めて当五月村々へ月並調達金を申しつけたが、このままでは追々借財が増えるばかりで、藩務・家中扶助・窮民の救助なども困難になるので両全講と称する積立をしてほしい。いま行なっている。日並調達金は来年から中止すると説明した(『浜松市史史料編三』)。
年月 | 内容 | 理由 | 対象 | 通達者 |
嘉永2.8 | 10月までに50両 | 高林左衛門 | 代官 | |
〃6.12 | 100両 | 殿様入部 | 高林左衛門 | 代官3人 |
臨時物入 | 手代3人 | |||
不明 | 〃 | 高林維兵衛作左衛門ら | ||
安政元5 | 月並調達金 | 勝手向不行届 | 領内村役人多数 | 家老井上織部代官ら |
5ヵ年間 | ||||
〃11 | 両全講 | 借財増加 | 〃 | 代官3人 |
来年より月並調達金中止 | ||||
〃12 | 石代金担保 | 大地震出費増大 | ||
2.6 | 両全講中止 | |||
10 | 不明 | 江戸藩邸被災のため | 有力農民 | 手代回村 |
11 | 調達金 | 重立世話掛71名 | ||
3.5 | 調達金 | 村役人 | 代官 | |
8 | 調達金 | 災害入用莫大 | ||
4.1 | 調達金 | 村役人 | 伏谷又左衛門 |