加免令実施

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 しかしながら藩はこれと同時に、農民たちの居免(すえめん)の要請を無視して、加免(増税)をいいわたした(『高林家日記』嘉永七年十月三十日条)。この年は免切替の年で国替後一度も加免がなく、藩財政も窮迫の折から加免は十分予想されたが、農民たちに大きな不安を与えないではおかなかった。その三日後の十一月四日、まれな大地震が襲い多数の家が倒壊し田畑・堤道・橋などにも大きな被害を与えた。【居免願】早速村々庄屋たちは勘定方へ押しかけ増税は中止し、いま三か年は居免にしてほしいと願い出た。しかし藩側は年季あけの加免は、すでに実施されていなくてはならぬものがおくれたのであるから、いまさら居免にと願い出ることは筋ちがいのことであり、地震による損失も大きいことだから、加免をとりやめたくらいのことでは、どうせ生活困窮をしのぐことはできない、すぐ加免をおうけすべきだ、と奇妙な理屈をならべて予定どおり加免をおしとおした。