安政地震と藩財政

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 大地震の影響はなお大きくいろいろの面に作用した。【返済金中止】これまで領内村々から「掛込候御講事金」があって、「拾ヶ年賦ニ御年貢継ニ」藩より返済されてきたものらしいが、大地震による出資増大を理由に返済は中止された。【資金調達令】その上つぎの年の収穫米の石代金を担保として、領内より多額の資金の調達を命ぜられた(『高林家日記』安政元年十二月朔日条)。
 安政二年正月には幕府役人による堤沿い地域の震災見分があったが、国役金(幕府が河川堤防などの修築に使うため国を限り、その石高に応じて課した金)を百石につき金十両の割合で出金しなくては見分しないというので、有玉などの村々はやむなく見送ることとした(『高林家日記』安政二年正月六日条)。
 【見分延期】井上藩の見分についても「御大勢にて御見分ニ相成候テハ入費多分ニ相掛り其上為指(さしたる)御引等も無之候而ハ却テ難渋ニ可相成も難計ニ付」(『高林家日記』安政二年正月二十四日条)見分は願わないことにしようというのが、一般農民の意見であった。しかし村役人など有力農民の意見はこれとは逆で、引米をすこしでも多くしようと見分を希望していた。一旦は見分中止かにみえた有玉の村々は二月末、結局見分の一行を迎えた。【農民不満】こんなところにも一般農民の不満がわだかまったのかもしれない。
 前年の十一月に示された両全講の新設も地震による生活困窮者が少なからずあるうえに、領内が不安定のため、発足を翌年三月に延期せざるをえなかった。世話掛り庄屋たちの間にも、弐割五分に減してはどうか、と修正意見が出る始末で各村役人たちも減額することに賛成であった(『高林家日記』安政二年三月二十六日条)。村内一般農民からの反対もかなり強くあったらしい(『高林家日記』安政二年六月二十八日条)。ついに同年六月両全講への加入を認めざるをえなかった(『浜松市史史料編三』)。