九月二日夜、有玉慈光院に集まった村民を前にして、村役人たちはなおも必死の説得をつづけた。しかし一般農民たちは「一切出金難出来」と、さらに村役人の手を通さず「小前一同相揃御願申上」たいと騒ぎだした。村役人は「惣代ニ無之テハ御願立案内」はできないなどと種々説得したが、その夜の集会は夜半におよんでも決着がつかなかった(『高林家日記』)。有玉組合村々の役人たちは、あくる三日早朝招月院へ参会し、昨夜の村々の状況を検討したが、「何れも六ケ敷由申」し、村役人たちの胸中まことに穏かでなかった。昼よりまた村方小前一同は慈光院へ集まり、村役人と談合したが、一向に軟化する気配はなかった。