そのほか拓地(土地開発)、樹芸(樹木農業)、藩士の帰農、浜松より浜名湖への舟運の開発についても論述している。
岡村の徹底した倹約一藩士の帰農・家禄制批判等は、身分格式にとらわれた大部分の藩士や、江戸詰と、それへの願望を懐く藩士らの中に、多くの反対者を生み出す可能性を強く持っていたから、彼の建白は恐らくそのまま採用されるようなことはなかったであろう。しかしこれまでに知りえた伏谷又左衛門らを中心に進められる井上藩政の経過と考えあわせてみると、西洋兵制の採用、開墾樹芸のことなどは、その成果の程度を別にすれば、岡村の主張の若干の反映とみることができるであろう。