領民の困惑

389 ~ 389 / 686ページ
 【庄屋出奔】藩資金の調達に献身してきた有玉下村の庄屋吉田長左衛門が、借金の返済にこまり、文久三年三月十六日突然家出し行方不明となったことも、人々に大きな衝撃を与えた。長左衛門家は嘉永三年(一八五〇)七月、当時高二十六石余を持つ村内第二の有力な農家であったが、ついに破産同様となったのである。しかしこの間長左衛門は苗字を許され、「紋付麻御上下被下」等、数々の栄誉をうけたのである(『高林家日記』)が、いまとなっては全くむなしかった。
 村役人として藩のためにひたすら尽力しながら、藩からの返金が順調でなかったことが、家の破滅を早めたものと思われる。こうして代々つづいた庄屋家が、たちまちのうちに破産同様になったことは、藩に迎合奉仕することの、いかにむなしいことか、人々に思わしめたに違いない。