目次
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第六章 藩政の動揺と民衆の動向
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第七節 慶応年間の藩政改革
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仕法掛の任命
禁門の変と警戒令
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【山本金木】元治元年(一八六四)七月京都に禁門の変がおこると、浜松地方でもしきりと風説がとび、「当七月十八日夜京都辺長州浪士二万人計りと京都御固メ会津侯・井伊侯・大垣侯其外大合戦有之、京都過半焼失死人夥敷有之候由」と井伊谷(引佐郡引佐町)の神主山本大隅(のち金木(かなぎ))は日記にしるしている(同日記、元治元年七月二十五日条)。
浜松宿と村々にも残党の探索を行ない、神事鳴物等中止すべきことを命ずるなど一段と緊張が高まった(『浜松市史史料編三』)。