仕法掛任命

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 すでに三十余藩に出動令がくだり、征長総督尾張徳川慶勝らの軍議も終わって、十一月十八日をもって総攻撃に移るとの手はずもととのった。【豪農商】この第一次長州征伐の最中か、前年の文久三年の末か、井上藩は領内の豪農商十四名を仕法掛に任命した。彼ら十四名を列挙すると、石川喜左衛門・大石孫左衛門(中田村庄屋)・石田平右衛門・竹山孫左衛門(天王村庄屋)・杉浦次郎八(入出村庄屋)・斎藤七郎右衛門(瓜内村庄屋)・高林維兵衛(有玉下村庄屋)・小野源右衛門(高畑村庄屋)・中村八左衛門(早出村庄屋)・篠ケ瀬四郎左衛門(篠ケ瀬村庄屋)・山本十右衛門(橋爪村庄屋)・竹山平左衛門(下堀村庄屋)・竹村又右衛門(入野村庄屋)・小栗武右衛門(恒武村)で、浜松の全領域から主だった豪農を網羅していた。