資金調達

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 藩主井上河内守は老中として、もっぱら江戸にあったが、元治元年四月下旬、彼は京都に上り(『浜松市史史料編三』)、将軍家茂とも会見したものと思われる。家茂が海路江戸に帰った五月の末か、六月ごろ、河内守は浜松に戻り、準備を整えたうえで江戸に下った。そのため藩主や家臣らの諸費と、内外の危機に備える軍費等、緊急に多額の資金が必要となった。領内の有力豪農商が勝手方仕法掛として任命されたのもこのような情勢にあたっていたからである。【飯島新三郎】そしてこの仕法掛を指揮し、新構想の直接実施面を担当したのが、郡奉行となった飯島新三郎と思われる。