仕法掛役目

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 仕法掛の主要な役目の第一は、村々から定期的な資金の調達と、その返済をすることであったらしい。
 【資金調達】「早朝より紙金取調四ッ時比迄ニ片付、竹村・小栗両人にて村々江紙金相渡ス」のように、藩よりの支払いはできるだけ藩札でまかない、村々からさかんに資金を集めた。「御役所ニテ御仕法金不参之村々御呼出ニ付、中村ハ御役溜リニ詰居利解」(『高林家日記』元治元年十二月十三日条)のごとく、村民を呼び出し、速かに出金するよう説得もしている。
 【国産物購入販売】仕法掛の第二のおもな仕事は、浜松領内に産する国産物の購入と販売であった。元治元年十二月、江戸六間堀にある井上藩中屋敷内に問屋をたて、江戸の御用商人伊藤八兵衛を金主として、遠州国産の繰木綿等を売り捌くことがきまった。瓜内の斎藤・恒武の小栗らが推進役となり、中沢の大庭平兵衛らの協力もえて進められたようである。【繰綿】国産品は仕法掛の建白書によると、繰綿を第一に、砂糖・琉球・絹糸・茶・椎茸類を順にあげており、これらを各地に販売しようとの意図をもっていたことがわかる。しかし国産品の他領への売捌き、領内での専売がどの程度されたのか、それらの詳細はわからないが、井上藩がようやく商品生産、商品流通の利益を積極的に吸収しようと、実行に移りつつあったことは、すこぶる注目すべき変化であった。
 【臨時資金と兵糧調達】第三に当然のことながら、臨時の資金や兵糧の調達をすることも、仕法掛に課せられた重要な仕事であった。後述する水戸浪士の西上の際、井上藩は三ケ日(引佐郡三ケ日町)に出陣した程度で、たちまち仕法掛に資金調達を依頼せねばならなかった。これに加えて「江戸表御普請等ニテ当暮必至ト御手詰リニ付十四人之者ニテ弐千両急速調金致呉」れるように、と質物としては古城米切手壱俵につき金壱両の割合とする高い米を担保に資金を調達している。三ケ日出兵入用とあわせて五千二百両余、すなわち藩の収入が米約六万俵とすれば十分の一に近い大量の米が、これだけに費される勘定であるから、藩の近代軍制の充実と十分なる訓練など、簡単にできるはずのものではなかった。