目次
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第六章 藩政の動揺と民衆の動向
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第七節 慶応年間の藩政改革
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仕法掛の建白と活動
東西御融通
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一、東西御融通之事
江戸・大坂を大融通場所と定め、都会の金銀をとり入れれば富国となるは必定である。江州日野・八幡あたりのやり方を見ならうべきである。下書には「卓識之御方其役ニ御選挙有之候ハゝ御仕法御成就無疑」とまでいっている。これは藩側の因循姑息なやり方を暗に批判したものであろう。