[農兵隊の結成]

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 慶応年間における井上藩政の改革を特徴づける大きな柱として農兵隊のとりたてがある。農兵隊の設置は仕法掛の豪農たちの建白にもりこまれた主張であり、実現が急がれていた。【農兵取立令】慶応元年十月四日農兵隊設置のため、農兵の名前を書き出すよう藩より命令があった(『高林家日記』慶応元年十月四日・二十五日条)。元年十月といえば、前年の大きな変動をうけて、はやくも長州再征の議がおこり、世上の不安はいっそう高まっていた時である。長州再征が失敗におわったことが明白となって、慶応二年九月五日領内の有力豪農三拾名ほどが藩校克明館に集められ、農兵取立てが命ぜられた。【取立趣意書】その時渡された農商兵取立て趣意書によると、
 【農商兵】取立ての理由は、長州再征後の処理や物価高による人心動揺に乗じて、筑波山の挙兵や天誅組の変のような内乱、あるいは博徒の横行等、いつどのような変事が起こらないとも知れないので、それに備えて緊急に農商兵隊を結成する必要があるとした。これら農商兵は二、三男および有志から選び、町村役人の指揮する西洋銃隊とし、農村は最寄りの寺社空地で、浜松宿は藩校で訓練すること、藩がこの訓練を指導することなどを規定している。