十一月には農兵教授方より農兵の守るべき「掟」が定められ、いよいよ訓練に移った。『高林家日記』によると、十一月二十四日𥡴古が開始された。この日藩から飯島新三郎らが出張して、「農兵名前帳」の第一組の訓練が、漆島の東光寺で行なわれた。重立掛の高林維兵衛は人足に訓練用具を運ばせたり、教授方と農民間の周旋にいそがしかった。訓練は二十四日から二十八日までの五日間、藩の出役は訓練地にあてられた寺院に宿泊して指導にあたり、飯島新三郎は訓練期間の初めと終わりに出張しており、訓練役人の最高の地位にあったものとみられる。