出席督励

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 農兵訓練は翌慶応三年もつづけられた。有玉組合村々では四月九日から十三日までの五日間、農兵教授方の出張によって、訓練が行なわれ、飯島新三郎や伏谷又左衛門らがみまわった(『高林家日記』)。
 農民たちは、この農兵訓練に抵抗したのであろう、病気と称して休む者が多く、予定された人数が揃わないため、十分な訓練効果をあげられない状態であった。藩は農兵重立掛を通じて農兵の出席を督励し、九月十五日には藩の重役が監察にまわる、と警告している(『高林家日記』)。