訓練の強化

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 藩は世の中が騒然となるほど、農兵訓練の必要を痛感したのではないだろうか、藩はさらに具体的に新たな命令を下した。九月二十四日、浜松克明館であろうか、場所は判然としないが、「御見置」と称する藩主脳による、農兵隊の検閲が実施されたらしい。明ケ六ツ時には農兵𥡴古に集結すること。溜所より勝手に離れないこと。掟書を守ること。服装は筒袖・陣股引・一刀指し・紺足袋・わらじのこと。鉄砲をそろえること。𥡴古が終わったならば速やかに村へ戻ること。浜松市中にとどまってはならない等と指示している。この検閲にあわせて左表のように農兵訓練が計画され、実施されたらしい。各組合村々でも農兵の𥡴古日を独自に計画実施したようである。有玉組合の例をあげると次ページの表のごとくであり(『高林家日記』)、慶応三年末まで農兵訓練が行なわれたのであろう。