農兵の役割

410 ~ 410 / 686ページ
 このように訓練された農兵が、あくる慶応四年の内乱で、どのような役割をはたしたのか、おそらく所期の目的をはたすべく、具体的に機能を発揮しえたとは思われない。それは内乱が村落に局限されない規模であったことにもよるが、井上藩自体が倒幕軍の東下直前まで混迷を重ねていたので、農兵出動の余裕もなかったかもしれない。【報国隊】そして農兵重立掛の幾らかは、遠州報国隊として結隊し、倒幕軍に加わったので、これに農兵隊が代行されるかたちとなり、その面からも農兵の動員はなされないで終わったのであろう。
 
(表)慶応3年9月農兵訓練日
13日~18日有玉組合
14日~19日三ヶ日〃
15日~21日松島〃
16日~20日入野〃
17日~18日中沢〃
18日~19日羽鳥〃
20日~21日楊子〃
20日~21日明神野〃
20日~21日橋羽〃

(表)太鼓稽古(有玉組合)慶応3年10月,11月
10月16日,17日万斛
 21日,22日西ヶ崎
 26日,27日橋爪
11月1日,2日大瀬
 6日,7日畑屋
 11日,12日下村
 16日,17日万斛
 21日,22日西ヶ崎
 26日,27日橋爪