開掘願出

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 【慶応三年】入野村庄屋竹村又兵衛・楊子村庄屋引馬伝三郎・天王村庄屋竹山孫左衛門・有玉下村庄屋高林維兵衛ら、明神野・上飯田・小池・宮竹・法枝・富塚・西在所・三嶋・島之郷・向宿・野口・参野らの村々の庄屋や組頭が署名して願い出たのは慶応三年三月二十八日のことであった。【浜松・浜名湖間】浜松城下から浜名湖へ船を通す工事の企画は、少なくとも慶応元年九月以前に決まり、最初の願い出は、元治元年(一八六四)ころ、ちょうど仕法掛十四名が任命され、藩財政に積極性がもりこまれはじめたころと同じ時期であったと思われる。
 助郷惣代庄屋たちは、一般農民の間に高まった彼らへの不満をてこにして、藩より有利な条件をかちとろうとしたのであるが、結局藩のとりあげるところとならず、不成功におわった。