目次
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第六章 藩政の動揺と民衆の動向
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第八節 徳川幕府の滅亡と浜松
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遠州報国隊の活動
西上京都へ
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【平田学派】所々に関門をおき、東海道の警戒を厳にするとの情報が入ると、池田庄三郎・加茂備後・長谷川権太夫・中村左近次郎(中村源左衛門の息子)らは、二十三日に浜松を発って西上し、三河や尾張の平田派国学徒の神主らと謀議をこらした。桑原真清・加茂主税(備後の弟)・鈴木覚之助(小国神社神主)・大久保初太郎(見付淡海国玉神社神主大久保忠尚の子)の四人も、同じく二十三日夜、京都をめざして出発した。