西上京都へ

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 【平田学派】所々に関門をおき、東海道の警戒を厳にするとの情報が入ると、池田庄三郎・加茂備後・長谷川権太夫・中村左近次郎(中村源左衛門の息子)らは、二十三日に浜松を発って西上し、三河や尾張の平田派国学徒の神主らと謀議をこらした。桑原真清・加茂主税(備後の弟)・鈴木覚之助(小国神社神主)・大久保初太郎(見付淡海国玉神社神主大久保忠尚の子)の四人も、同じく二十三日夜、京都をめざして出発した。