従軍を請願

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 東海道鎮撫総督軍が正月二十八日、桑名城をおさめたのを知った桑原らは、ただちにこれにいたり、神符と軍資金の献納を願い出、あわせて討幕軍への従軍を請願した。請願は二月一、二、三日と連日にわたったが、その主旨はとりあげられずに終わった。
 上方へ発向しなかった同志も、情報を交換しあって機の熟するのをまった。一の宮小国神社神主鈴木弾正より依頼された山本大隅は、二月二日夕方浜松の池田庄二郎を訪ね、つぎのような情報をえた。
 一、鈴木覚之助らの帰国の遅いのは、三州の同志と会っているからであろう。一、倒幕軍が二十七日桑名城をとり若君と家老らが縛られたそうだ。一、尾張藩も奸物が召し取られ勤王が決まった。一、岡崎藩も闘争の末尊王に決まった。一、吉田(豊橋)藩も尊王。一、堀江の大沢氏は山本大隅の弟直章を使って、四日市の倒幕軍に派遣した。一、四日市各藩の使を集めており、征討将軍の下向はすぐにはないだろう。浜松藩もこのころ呼びたてられ、二十九日四日市へ勤王の使を派遣したが、目下勤王か佐幕か、議論最中である。とこれらを見付の大久保忠尚に通報している(『山本大隅日記』)。