【二月】加茂備後・中村源左衛門・池田庄三郎・同庄二郎・長谷川権太夫らは、結隊の手はずをととのえて二月十五、六日、杉浦大学・桑原真清の名をもって、遠州各地の神主に勤王尽力、神職相続したいものは集まれ、と回状をもって呼びかけた。神職をやめさせられては大変とばかりに、真意も解さず集まる者が多かった。【諏訪社】十六、七の両日浜松諏訪社に来会したものは七、八十名に達した(『山本大隅日記』)。ここで勤王に尽力すべき旨が説かれ、事実上報国隊の結成大会ともいうべきものとなった。浜松北部引佐郡方面は二月十八日廻状をまわし、二十一日までに諏訪社へ出頭するよう命じた。この間山本金木・中村源左衛門・加茂備後・竹山孫左衛門・竹山平左衛門らも、金指・井伊谷(引佐町)方面の旗本の陣屋や神主らに対して説得活動をつづけた。【井上藩後援】こうした報国隊の活動に対して浜松井上藩は二月二十日杉浦大学・五社神主森信濃守・桑原真清・中村源左衛門・森讃岐の五名を城中に招き、老臣寺田源左衛門・伏谷如水・小林平之助をもって「此度勤王誘引万端行届感心」との藩主の賞詞を伝えている。
東遠での神主らの勤王運動も、西遠とほぼ歩調を一にして活発に行なわれた。
二月二十二日倒幕軍は三州吉田に進出した。報国隊結成の日どりや神主出頭の日限も、倒幕軍東下の日程にあわされていた。