二十四日東征大総督有栖川宮熾仁親王を奉ずる西郷吉之助らの諸隊千五百名が、吉田に着陣するや、報国隊でも総代として杉浦大学・高辻三郎・朝比奈内蔵之進を送り、二十六日前回と同様の警衛と隊中十余名でも従軍を許可されるよう願い出た。二十七日大総督は新居に着陣、報国隊川西組は森縫殿之助を隊長として舞坂に出張宿営し、あくる二十八日舞坂船着場を警衛、無事大総督軍をむかえた。
「御船上り之節錦ノ御旗金ノ日ノ御紋付 一本 銀ノ月ノ御紋付 一本 御建被遊候直様御下ケニ相成候を拝見仕候ニ我隊ノ志気弥々相奮候」と山本金木はしるしている。この夜浜松に宿営した討幕軍に、桑原真清・杉浦大学は隊を代表して、一両人でも従軍許可をと四度目の願書を提出したが却下された。
二十九日は前回と同様天竜川渡河を無事警衛し、夕刻報国隊屯所へ帰ると、藩主井上河内守より報国隊の労をねぎらうため、酒肴がとどけられた。報国隊の二か所の両度にわたる警衛には井上藩家老伏谷如水・寺田源左衛門が、その都度助言者となったようで、この酒肴も彼らの肝煎りによるものと思われる。