その後も従軍運動は倒幕軍を追ってつぎつぎと行なわれた。東海道を進んだ倒幕軍は三月五日駿府(静岡市)に入った。しかし中山道を進んだ倒幕軍が、甲州で旧幕旗本の迎撃をうけたため、三月六日浜松井上藩に出兵命令が下り、七日この報を知った報国隊もにわかに緊張した。井上藩が八日出動するというので、報国隊も屯所への集結を命じた。【頓所集結】従軍を希望する隊員たちは続々武器をとって屯所にはせ集まった。
加茂水穂・長谷川権太夫らは従軍の運動と情報蒐集のため、すでに駿府に出かけ、つづいて杉浦大学・竹山民部らも駿府に急行した。【訓練開始】屯所に集まった隊員は三月十四日より藩校克明館において銃隊訓練を開始した。訓練には井上藩士志賀孫兵衛と篠原格之助が指導にあたったものらしい。