東北地方の鎮定を機に、東征大総督有栖川宮熾仁親王の京都凱旋が決まると、報国隊もこれについて帰国することとなった。隊員は十一月四日各自感状の写をもらい、翌五日大久保初太郎・竹山民部・浅羽帯刀・桑原真清ら官途についた者を除く隊員七十四名が、赤心隊員とともに、尾州・筑州・津和野・稲田らの諸藩兵と、宮を奉じて東海道を西に上った。【十一月】十一月十五日には大井川を渡り、掛川からは錦の御旗の「直、真先立ニ相立候而」(『山本大隅日記』)勇躍故郷浜松に帰った。報国隊の従軍警衛もこの日をもって終わった。使いなれた小銃も下賜されて従軍の記念となった。十六日朝報国隊全員は二回にわかれて拝謁をえ、前夜の慰労の酒肴に加えて、ふたたび酒肴料金壱万疋を下賜された。ついで隊員は宮を舞坂宿今切渡まで見送り、山本金木と竹山主水の二人は、隊を代表して新居宿本陣まで出頭、舞坂海苔五帖を献じた。翌十七日朝隊員一同は浜松城二の丸へ出、井上藩に謝意を表するとともに、藩の重役たちのねぎらいをうけたのである。