家族の喜び

434 ~ 435 / 686ページ
 隊員を迎えた家族や留守隊の喜びは想像以上のものがあったであろう。従軍中留守家族には全員が討死したなどと言いふらす者や、まことしやかに書付にして見せ歩く者もあったりして、家族を苦しめた。それだけに感状をもらって元気に帰ってきた神主たちを迎えて、家族親類の者たちの喜びはたとえようもなかった。【留守隊の活躍】留守隊の幹部は留守家族の救援や出兵隊員への補給に忙しかった。【資金捻出】倒幕派諸藩兵の費用は官軍会計方より支給される若干の手当と食費のほかは、自弁しなくてはならなかったから、報国隊の場合資金の捻出には非常に苦心しなければならなかった。このほか留守隊は明治元年(一八六八)九月、明治天皇の東幸にあたって今切・天竜川両渡の警衛を願い出、あるいは淡海国玉神社が内侍所入御の地に指定されたから、官幣使がここで遠江一国の式内社に遙拝されるようにと願い出たり、種々の活動をつづけていた。
 十一月二十三日報国隊員をはじめ川東・浜名湖沿岸の留守隊員も屯所の五社に集会したが、おそらく出兵諸費用の清算と、隊員名簿の作製および神葬祭願書提出の件について、話しあったのであろう。二十九日留守隊員も加えた名簿と感状(本紙)を一の宮小国神社に納め、「天朝ノ御規則ヲ奉戴」することを神明に誓った。