神葬祭許可願

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 翌三十日報国隊より浜松藩に対しつぎのような内容の願書が提出されたが、これはすこぶる注目に値する。
一、報国隊員の神職は、下級の鍵取・下社家にいたるまで、残らず神葬を行ない、村方の宗門人別帳より独立することを承認すること。
二、報国隊員中農商の者も、宗門人別帳に町村役人の奥印をおすことなく、神葬として宗門人別帳よりの独立を承認すること。
三、報国隊は天朝よりの重き御沙汰によって、ながく設立されることを領内すみずみまで布達すること。
四、旗本領をふくめ、報国隊に参加した神職残らず宗門人別帳より神葬として独立したことを、領内はもとより周辺の旗本領にまで伝達すること。
 報国隊を代表してこの願書に署名したのは、鷹森(竹山)主水・森讃岐・森信濃守・蒲惣検校(蒲神明宮神主)の四名であった(『報国隊日記』帰国後)。【檀家離脱 地位強化】報国隊のこの行動は、新しく政治権力として登場した天皇制政府の権威を利用して、寺院の檀家支配より離脱するとともに、揺ぎつつあった村落内での支配的地位を強化しようと意図したものといえよう。思えば嘉永以来浜松藩における神葬祭の独立をめざす運動は、積年の願望を達成すべき時を迎えたのである。新政府内に発言権をえた平田派国学徒の活動により、報国隊の従軍中の慶応四年(一八六八)三月、すでに神仏分離令と神葬祭の許可が発令された有利な条件に加えて、従軍活動を通して、新政府と直結した自信に満ちた彼らは、離擅神葬祭の実効をあげるべく藩に迫ったのである。報国隊はいまや新政府の最末端にありながらも、国家確立への新しい政治的使命をはたしつつあったといえよう。