第一回招魂祭

440 ~ 441 / 686ページ
 【明治二年】九段での第一回招魂祭は明治二年六月二十七日から七日間催された。このとき戊辰の戦死者三五八八柱が合祀されたのであるが、社殿の小さいのにくらべて、祭事はすべて大がかりだった。勅使は弾正大弼五辻安仲、祭主は軍務官知官事嘉彰親王、副祭主は同副知官事大村益次郎がつとめ、多数の官員・在京の諸藩主・藩士が、こぞって参列参拝した。一般民衆からは供物や余興を奉納させ、参拝者には神酒を、とくに戦死者を出した諸藩には、神䬻を下賜して優遇につとめた。この祭典の諸準備はもとより、神饌・奏楽・警衛など、すべて赤心・報国両隊員の手によって行なわれた。そしてこの頭として祭典指揮したのが、報国隊の大久保忠尚と桑原真清であり、その補佐役が同じく加茂備後(水穂)・西尾棟・浅羽帯刀らの隊員であった。