浜松地方の寺社領

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 幕府の宗教取締方針は、前代からの宗教勢力をどのようにして幕藩体制に組みこむかということにあった。それにはまず僧侶や神官の生活の安定をはかり、寺社の維持ができるような方策を講ずる必要があった。その政策として、幕府は寺院や神社に対して免租の土地をあたえ、優遇処置をとった。これがいわゆる朱印地とか除地とかいわれるものである(第四章参照)。
 では、浜松地方における、このような寺社領の状態はどのようであったか。
 【郡別】これを『遠江国風土記伝』の敷智・長上・麁玉・引佐・浜名の五郡についてみると、敷智郡(二六六〇石)がもっとも多く長上郡(一三二七石)がこれに続き、山間部の引佐(三四二石)・麁玉(二五石)の両郡と浜名郡(七四石)はぐっと少ない。【寺社別】これを所有状態からみると、朱印地・除地所有寺社数は二百九十八で、このうち朱印地所有寺社は二百二十三(寺院百三十六、神社八十七)、除地所有寺社は七十五(寺院六十二、神社十三)。【平均高】平均高は朱印十五石ぐらいで除地は二石前後。このうち、十石以上の朱印高の寺院は三十三で神社は二十四、計五十七。【百石以上】しかし百石以上の朱印高を持つのは寺院では頭陀寺・鴨江寺・竜禅寺の真言宗の古刹と、神社では蒲神明宮と五社明神・諏訪明神(いずれも浜松利町)があるに過ぎない。
 そしてこの場合に注意をひくのは、第一に寺社領を持つ寺社の数がその石高に比して比率が多いということ、第二はその数において寺院が神社よりも多いということである。その理由は第一の場合については、おそらく浜松地方が徳川氏とふかい関係があったためであろうと考えられ、第二の場合は幕府が宗教政策を遂行するにあたり寺院の統制にもっとも苦慮し数多くの寄進をしたためであろうと推測される。
 
(表)10石以上朱印地所有の寺院数
郡名\石10~2030405060708090100200~300
長上111       14
敷智11112314  1125
引佐11  1  1   4
麁玉            
浜名            
133224141 1233

(表)10石以上朱印地所有の神社数
郡名\石10~2030405060708090100200~300
長上5 1    1  18
敷智81 21  1   215
引佐1          1
麁玉            
浜名            
141121  2  1224