寺院の形式化

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 【過去帳】寺院はこの制度によって檀家を確保し、その仏事(葬儀・年忌・法要など)を執行するとともに、過去帳をそなえ位牌をあずかり墓地を管理するようになる。浜松地方の寺院の過去帳に庶民の名があらわれるようになるのは大体寛文以降であり(前述)、墓石の数がふえるのもおおよそ元禄以後である。
 また檀家は檀那寺の造営修理にあずかったり、盆暮につけとどけなどをして経済的に支持するようになってくる。その一方、法名にも階級ができ、位牌は牌座によって上下の座が定められ、墓石の位置大小と、身分化が進んでくる。
 以上は一般の場合であるが、例外がないわけではない。笠井村の旧家山下佐二兵衛家は法永寺と定明寺の両寺に墓地をもち、伊場村岡部家は同村の見海院が檀那寺であるがその本寺の天林寺の過去帳に記載がある。また墓地が伊場村岡部与三郎家のように邸内の裏山にある場合もあったし、利町諏訪明神のように神官だけの墓地を中嶋六本松に持っている例もあった。

過去帳(浜松市庄内町 宿芦寺蔵)


牌座順席帳(浜松市庄内町 宿芦寺蔵)

(表)墓石年代表 恒武町長福寺(田辺寛司調査)
年代
1600~14
1700~11
1750~7
1800~18
1850~4
1900
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