このようにとかく形式化し沈滞しがちな仏教界に新風をもたらしたのが隠元隆琦(いんげんりゅうき)(一五九二-一六七三)の開創になる黄檗(おうばく)宗であった。
隠元は明の福州府の人、承応三年来朝し寛文三年(一六六三)山城宇治黄檗山万福寺を本山として一宗を開いた。これが黄檗宗で、臨済宗の法流を汲みながらも参禅と念仏の融合一致を説き、新しい禅を提唱した。門下に木庵・即非・独湛・竜渓・独照(いずれも明の人)などの著名の僧が輩出しそれぞれ師の教えをひろめた。その教派は十三派、遠州に教線を張ったのは独湛性瑩(どくたんしょうけい)の獅子林(ししりん)派であった。