大雄庵開創

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 石窓が大雄庵を創めたのは、延宝四年(一六七六)で、当時天神町村(当市天神町)に妙見菩薩の祠堂があったのを改め、独湛を勧請開基と仰いで、庵室をつくった。これが大雄庵である。天神町村は石窓の生まれた将監名村にとなりあっている。石窓が大雄庵をはじめたのは黄檗教線の浜松進出をはかったものに違いないが、胸中ひそかに故郷の恩にむくいる志があったのではなかろうか。【浜松人の協力】この大雄庵の創立には多くの篤志者の援護があった。将監名村では石窓の兄磯部三郎右衛門をはじめ同村の磯部忠三郎父子・同姓伊兵衛一家、地元の天神町村庄屋惣太郎と彦左衛門・同住人伝左衛門、また浜松では伝馬町本陣杉浦助右衛門夫妻、田町安川起源居士室および家族、田町御酢屋鈴木善左衛門などが主だった人たちであるが、このほかに進んで喜捨した多くの善男善女があったことも忘れてはならないだろう。
 元禄十二年宝林寺の檀越(だんおつ)近藤徳用(のりもち)の招きによって初山四代の法席を継いだが、宝永元年(一七〇四)五月五日六十八歳で宝林寺で示寂した。その著に『大雄庵創建記』『大雄庵石窓行由』がある。

石窓像(浜松市天神町 大雄寺)