【普明】七代普明は佐藤村(当市佐藤町)の人。宝暦二年(一七五二)生まれ、安永二年(一七七三)四月八日大雄庵に入った。のも仙台大年寺(黄檗宗の寺)の副寺監などをつとめ寛政七年大雄庵に帰山している。享和元年四月示寂。
【楚州】八代楚州は、大雄庵歴代のうちもっとも傑出した僧として知られている。大和国郡山(郡山市)に生まれ、普明に学び文化四年(一八〇七)四月、大雄庵八代を継いだが、その学識をみとめられ、出でて弘化二年黄檗本山万福寺三十二代を継承し、よく勧化巡業して寺運の挽回につとめその手腕を発揮した。嘉永三年(一八五〇)八月十七日示寂、六十歳であった。詩文にもすぐれ『黄檗楚州禅師語録』二巻、『亀林余稿』上中下三巻、『奥山草』前後二篇は奥山方広寺に、『舘山吟草』前後二篇は文政八年と天保八年に浜名湖畔舘山寺に遊んだときの紀行文である。
その法子に碧潭・冲天・勇峰・禅統があり、いずれも大雄庵を継いでいる。【長福寺 慈雲寺】このうち碧潭(和算と弓道に秀でたという)は天神町村(当市天神町)細井氏の出(吉田屋松本氏とも伝える)、小池村(当市小池町)長福寺、冲天は白須村(当市白洲町)慈雲寺の住持となった。慈雲寺は宗覚(享保五年示寂)が独湛を勧請開基として延宝五年(一六七七)建てた寺である(『慈雲寺伝』)。
大雄寺漢門(浜松市天神町 大雄寺)