高塚四娘孝記

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 この上巻の巻尾には『高塚四娘孝記』と題した一文がついているが、これにはつぎのような話が伝えられている。あるとき、五郎兵衛は仮名書の法華経を自隠に示し、おのれが孫娘の四子が亡き父母供養のために書写したものである、と話した。一読した白隠はいたく感激し、たちまち筆を走らせて一文を草した。それがこの記であるという。「四女子を出して相見せしむ、姉は十四歳、妹は十二歳、其次は八歳、季子は纔かに六歳なり、其筆蹟大略優劣なし、予一見して感歎に堪へず、覚えず老涙を滴づる事数行、三度頂戴合掌して云く『書きも書ひたり、勧めも勧めたり、寔に古今無双の一善行なるぞや』久繁曰く『願くは彼等が書写の始まる彼の経の巻末に筆記し置かせ玉へかし』と、予もまた随喜の余り、寡陋を顧みず卒に其大概を書し卒んぬ」と結んでいる(鈴木実『遠南のしぶき』)。