鴨江彼岸会

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 鴨江観音堂の彼岸会はお彼岸といえばすぐに鴨江の彼岸会を意味するほど、浜松をはじめ近郷の人びとから親しまれていた縁日であった。
 この観音堂(戦災焼失)が、享保元年(一七一六)から三年がかりで竣工したときのことである。その地つき工事は享保二年二月二十八日から四月二十日ごろまで五十日余かかって行なわれた。そのとき浜松の町や近郷の人たちがこぞって奉仕している。【町民参加】覚書によると、浜松の各町それぞれ日割により幟を立て屋台をひきまわしたり、人形をつくって山車(だし)をかざったりして、興趣を添えている。したがって田町が町奉行から注意をうけて参加中止になったときは「田町ハ不及申、惣町見物之者共残多」く思ったのである(伝馬・連尺・塩・旅籠のお役町は困窮のため参加していない『旅籠町平右衛門記録』)。

鴨江寺(明治時代)(浜松市鴨江)

月日町名出し物
2.29上新屋台木遣
七軒屋台木遣さるの山車
3.5本魚屋台ふきぬき
6紺屋大江山酒天童子山車
7三社をかざりふきぬき
8平田布袋の山車
9名残猩々の山車
10下新天狗
11神明おやま人形山車
12成子坂張良のくつおとし
13下垂関羽の山車
14鍛冶かりょうびん山車
15早馬頼政鵺退治山車
18板屋狂言おどり
19西行法師山車
20山車