鴨江観音堂の春秋の彼岸会は、鴨江寺の記録によれば享保以後のことだという。このとき浜松近在の寺々が出開帳のあったことは後に触れるが、彼岸中は沿道境内に縁日商人や見世物が軒をつらねて参詣人をよびまねき雑沓を呈した。文政ころから嘉永年間の鴨江寺の記録によると、見世物は反魂丹(はんごんたん)売薬を主とし、これに付随して見せたようである。その種類も水人形・じゃむすめ・水玉・穀物細工十二支・おほむ鳥・唐人形・貝細工・作花・人魚作り物・辻絵書・七面鳥・土細工見世物蛇蛙虎・人形軽業打囃子・浪小僧・軽業乱杭渡り・綱渡り・鷲・猩々・細工もの・唐女・ぶた・へび・三本足犬・馬上軽業・物真似などと千差万別で、ときには歌舞伎芝居の興行もあって、その賑いのほどが想像される。鴨江観音の彼岸会は庶民の娯楽の場でもあったのである(『鴨江寺誌』)。