流行の仏たち

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 つぎに重複するきらいがあるが、これらの仏堂をふくめて浜松地方で人口に膾炙(かいしゃ)した仏たちをあげてみよう。
 薬師如来 頭陀寺・早出の薬師堂。また笹ヶ瀬村の隕石は玉薬師としてまつられていた。
 大日如来 林慶寺(当市滝沢町)正月六、七日両日。滝沢村では、東西の二組に分かれ、代表が綱引をして豊凶を占い、もみめしを大日如来に献ずる。つづいて瓶治(へいじ)祭を行なう。
 観音菩薩 鴨江寺・竜禅寺・福来寺(当市笠井町)。馬頭観音では西鴨江村の花学院。
 妙見菩薩 法雲寺・大雄庵。
 虚空蔵菩薩 新橋村蔵興寺。
 地蔵菩薩 鴨江寺の水向地蔵。岩水寺・寿量院(当市向宿町)の子安地蔵。七軒町の子育地蔵。万福寺(当市八幡町)の身代り黒衣地蔵。寺嶋村(当市寺島町)の鳥追地蔵。中ノ町屋村(当市中野町)松林寺・茄子一色村の水難地蔵・上都田村(当市都田町)谷上の六地蔵(慶安五年・寛文十二年に市川武左術門の造立)と、種類も数も多い。西来院(当市広沢)門前の六地蔵は早世した子どもの菩提を弔うために建立したもので、このような例も少なくなかった。地蔵は路傍の仏でもあり子どもの仏でもあった。
 愛染明王 南能庵(大聖寺)。文政元年(一八一八)遠江国天宮(あめのみや)村(周智郡森町)の中村乗高(のりたか)の著『事実証談(ことのまことあかしがたり)』には、浜松紺屋(こうや)町の紺屋職人が愛染明王を信仰した話がでている。
 不動明王 普大寺、平口村(浜北市)の不動寺。享保九年(一七二四)三月には「七軒町普大寺不動様開帳」で「殊外参詣人多」かったという(『旅籠町平右衛門記録』)。
 毘沙門天 石原村(当市石原町)毘沙門寺。
 鬼子母神 法雲寺。
 
仏堂名所在地
薬師堂7早出薬師下堀羽鳥笠井高薗永嶋
阿弥陀堂7船越上之郷佐藤永田長命白鳥羽鳥
観音堂6中田北嶋松小池長命笠井永嶋
地蔵堂5馬込天王北嶋壱貫地上嶋
大日堂2薬師天新田
昆沙門堂1松木嶋
十王堂1壱貫地
太子堂1上嶋
辻堂1上新屋
1中瀬