つぎに浜松をふくめ西遠地方のおもな神社について述べよう。
まず式内社であるがこの時代になると、確実なものは現浜松市域内では賀久留(かくる)神社(賀久留八幡宮・神ヶ谷八幡宮)・津毛利(つもり)神社(四十六所大明神)・曽許乃御立神社(そこのみたて)(鹿島大明神・貴船大明神・船着大明神)・須倍(すべ)神社・邑瀬(おうせ)神社(当市大島町)・服織(はとり)神社(当市豊町)の六社になってしまい(『浜松市史一』第六章)、許部(こべ)神社は八幡宮(当市八幡町)、大歳(おおとし)神社は同名の大歳神社(当市天王町)だろう、といわれるようになってしまう。
これは式内社のような古い神社は長い年月のあいだに、祭神や社名にも変化があり、とくに天竜川水系(天竜川・安間川・芳川・馬込川・新川)の氾濫による遷座右あって、所在も不明となったためであろう(高柳光寿「天竜川と池田」『歴史地理』三三-五)。