つぎに豊田郡から長上郡へかけて諏訪社の多いのが目立っている。その由緒は往古天竜川出水のとき信州から諏訪明神の神札が漂着したのを祀ったとするものが大部分である。享保四年(一七一九)の国領組五十三か村をみても、諏訪社(諏訪大明神と称えている)の数は八幡社関係の神社につぎ十四か村(細嶋・天王・長命・羽鳥・中瀬・下小嶋・壱貫地・永嶋・中野嶋・蠟燭・上嶋・三家・上神増・下神増)におよんでいる。これは天竜川の水利にあずかるとともに水厄からも免れたいとする庶民の祈りが、諏訪大明神の信仰となって現れたとみるべきであろう。