諏訪明神社(当市利町、五社神社諏訪神社)五社明神社の南隣にある。前述したように弘治二年(一五五六)中嶋(中島村六本松)から浜松(当市伝馬町)に移り、その後西山へ再遷したが(元和元年)、寛永十八年常寒山に造営が成った(戦災焼失)。五社明神とならんで「台徳院殿御誕生処之明神」(寛永十一年社領寄付朱印状写)として崇敬された。朱印三百石。両社とも相殿に家康をまつっている。神官は大祝(おおはふり)杉浦氏で、これも世襲であった。
二代将軍秀忠は大坂出陣往復のさい、慶長十九年十月と翌二十年(元和元年)二月に、また三代将軍家光は寛永十一年七月にこの両明神を参拝している(「諏訪神社延宝三年棟札」。内田旭「浜松諏訪神社と大祝杉浦家」『静岡県郷土研究』第十三輯)。
五社明神といい諏訪明神といい、社殿も荘厳で(後述。第七章第五節)、浜松の代表的な神社であった。