都田村の『神社明細帳』(年代不詳)によると、同村には天神社・稲荷社・金山社・山神社・諏訪社・社宮社・力神堂・雷明神・白山社・天白社・立山社・水神(すいじん)社・西宮社・木船社・地神社・井神・立岩社・若宮社・八幡社・白髭社など種々の神社があって(「明治三年上都田村明細書上帳」には村内に三十四の神社がある)、それも小さい祠が多い(たとえば、山神社は神殿桁行七寸・梁間五寸である)。その棟札は寛文期あたりが上限で、社守とか鍵取と称する村民の管理によるものが多数を占めている。
これは一例にすぎないが、当時の村々にはこのような小さい祠が路傍にあって、庶民の信仰をあつめていたのであった。上述の雷明神の棟札をみると「七難則滅・七福則生・我身福徳」とあり、寛文十三年の大旱魃のとき雷公大明神に雨乞をすると「忽雷鳴而水増五穀成就」し、その後も霊験あらたかであった、と記している。たとえ祠は小さくても、すぐ手近におわしまし厄除・招福・治病・一家の繁栄・部落の安全と、願掛けをすれば手軽に現実的な利益をもたらしてくださる。そこにこのような小祠の存在理由があったといえよう。
賀久留神社祭礼行列図 (浜松市神ヶ谷町 賀久留神社蔵)