江戸時代中期、元禄・享保のころになると、幕藩体制が動揺するに至ったので、それに対応するために、新しい学問や思想が現われるようになり、特に庶民文化がいちじるしく発達して来た。近世国学の創始者としての契沖のあとをついだ荷田春満は、気概に満ちたその風格と情熱をもって古道の復興に心魂をかたむけた。【遠江と国頭】この春満の学風をさらに推進させ、遠江国学の始祖となったのは、浜松諏訪社の大祝(おおはふり)(神官)杉浦国頭(すぎうらくにあきら)である。儒学が主として武士階級に受けいれられたのに対し、国学は郷村の指導者層である神職・庄屋・名主・年寄、さらには地主・町人の代表者、富商などに普及していったことは、そのいちじるしい特色であろう。
杉浦国頭筆懐紙(浜松市元魚町 三浦 巌氏蔵)