国頭は延宝六年(一六七八)八月二十三日、医師渡辺竹庵の次男として浜松後道(うしろみち)(当市千歳町)に生まれた。幼名を忠成といい、諏訪社の社家杉浦家を継ぎ、大学と称した。天和三年六歳で大祝に任命され、のち国頭と名乗り、志水と号した。杉浦家は十三代目の直信が三河から浜松へ移り、その弟信定があとを継ぎ、永禄十一年十二月、徳川家康が引馬城に入るとき出迎えてこれに仕えた。信定以来代々諏訪社の大祝となり、国頭はその六代目である。【月並句会 百人一首 尽敬会 日本書紀】享保五年以後多くの雅友を集めて月並歌会を開いて歌道をひろめ、さらに享保十三、四年には浜松の有志に百人一首の講義を行なって、師春満所伝の説を普及し、享保十九年には舎人親王千年祭(とねりしんのうせんねんさい)を挙行して尽敬会(じんけいかい)を創立(後述)し、日本書紀を講義して神祇道を唱え、古学の振興に力を尽くした。元文五年三月『日本書紀神代巻講義』十三巻を著わして日本古来の道を明らかにした。このように国頭は遠江国学の始祖として、また浜松文化の開拓者として活躍し、元文五年(一七四〇)六月四日没、享年六十三、墓所中島六本松(当市中島町)。遠江の神官のうち、国頭の門人は上表のとおりである。
(表)杉浦国頭門人録
住所 | 氏名 | 入門の年 |
豊田郡中泉 | 秋鹿内匠朝暢 | 宝永 | 6 |
佐野郡垂木村 | 山崎出雲守久城 | 同 | 7 |
長上郡小池村 | 洲貝織部忠敬 | 正徳 | 5 |
引佐郡井伊谷村 | 中井主水近直 | 享保 | 5 |
佐野郡垂木村 | 山崎千倉弓削久章 | 同 | 8 |
長上郡参野村 | 桑原宮内盛藤 | 同 | 10 |
周智郡苅原 | 山住外記苅原繁木 | 同 | 13 |
磐田郡見付 | 斎藤右仲信幸 | 同 | 14 |
山名郡鎌田 | 袴田縫殿為寿 | 同 | 14 |
長上郡神立 | 蒲刑部清詮 | 同 | 15 |
敷智郡八幡村 | 金原筑前守清房 | 同 | 16 |
長上郡北島村 | 大橋主殿正員 | 同 | |
豊田郡中泉 | 秋鹿主計朝郷 | 同 | 18 |
敷智郡新居 | 飯田伊織嘉言 | 同 | |
長上郡参野村 | 桑原右門盛行 | 同 | |
豊田郡大明神村 | 守屋平馬重基 | 同 | 19 |
敷智郡新居 | 田代判事時房 | 元文 | 1 |
敷智郡八幡村 | 金原兵庫久富 | 同 | 3 |
長上郡小池村 | 竹山内膳茂睡 | 同 | |
同 | 洲貝伊織忠村 | 同 | |
敷智郡浜名郷三箇日村 | 県靱負正邑 | 同 | 5 |
山名郡鎌田 | 袴田左仲為仲 | 同 | |
杉浦渡辺両家関係略系