目次
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第七章 文化の興隆
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第二節 国学
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遠江国学の始祖杉浦国頭
杉浦真崎
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国頭の妻真崎(まさき)は元禄三年(一六九〇)京都伏見稲荷の神官羽倉信元(はぐらのぶもと)の娘として生まれた。【雅子】名を雅子(まさこ)(政子ともいう)といい、母茂子は荷田春満の妹である。伯父春満の娘分として養われ、宝永元年秋国頭に嫁し、夫とともに和歌会に出席している。【やどの梅 夜あらし】また真崎は宝永四年から元文ころまでに歌集『やどの梅』八巻(うち一冊のみ岡部家蔵、『古学始祖略年譜』)『夜あらし』一巻『源氏物語』一巻等を著わしている。
杉浦真崎筆懐紙(浜松市鴨江 渥美静一氏蔵)
浜松に嫁(とつ)いだ真崎は、夫国頭に仕え内助に功があったばかりでなく、春満の学問を浜松に伝える契期ともなった女性といえよう。国頭の学問が浜松を中心として、遠州の各地にひろまったかげに、真崎の力のあったことを、忘れてはならないだろう。十一歳の真渕が、はじめて真崎の手習をうけたことは、よく知られている。宝暦四年(一七五四)二月二十九日没、享年六十五。墓所広沢西来院。法号蓮池院殿清純香大姉。