春満の来浜

485 ~ 485 / 686ページ
 【歌会】杉浦真崎をはじめ周囲の人々もしだいに和歌を詠ずるようになったので、国頭は宝永二年(一七〇五)三月十五日はじめて自宅に歌会を開き、さらに同四年正月十九日、五月十八日にも開いている。荷田春満は江戸往復の途次、少なくも四回は浜松の杉浦家に逗留して和歌を指導している。この間に古典の講義をもしたであろう。そして春満の来遊により浜松の柳瀬方塾(やなせみちいえ)も岡部衛士(えじ)(のちの賀茂真渕)もその門人となった。このようにしばしば来遊した春満が浜松において神道・和学を教示したことによって、遠江の人々は深くこれを知り、究学の指針を得て勉学に励んだのである。