森暉昌

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 諏訪社の大祝杉浦国頭とならび称せられる五社明神の神官森暉昌(もりてるまさ)は、国頭と同様に社殿修造のため心血をそそいだが、国頭が春満に入門した元禄十六年(一七〇三)から一年遅れて、宝永元年に同じく春満に入門している。賀茂真渕は親しく暉昌の薫陶をうけ、その篤実な人柄や、尚古思想から多くの感化をこうむった。神職という本職に専念して自ら持する品格は、やがて精神的な感化を後世に残したといえよう。舎人親王千年祭(とねりしんのうせんねんさい)には祝詞を撰し、この地方における神職としてつねに指導的位置にいた(内田旭「五社と森暉昌」『郷友』第五号)。暉昌の和歌は清純な心情をたたえ、家集はないが、集められたもの十一首がみられる(小山正『賀茂真渕伝』)。その一首に、
 「秋風の絶間に聞けば賤の女のうつやきぬたの音もかすかに」
 
がある。宝暦二年(一七五二)六月十四日没、享年六十八。五社裏の清水谷に葬る。【光海霊神】賀茂真渕の撰になる、暉昌の事績を記した光海霊神(うなてりのみたま)(暉昌の諡号)の碑銘は、いま五社神社諏訪神社の境内にみることができる。

森暉昌像(浜松市鴨江 渥美静一氏蔵)