「いつしかも春たちけらし梓弓ひくまの野べに霞たなびく」
繁子は鎌田神明宮(磐田市)の神官袴田為寿を養子に迎えて父の職を継がせた。繁子は寛政八年(一七九六)七月六日没。享年七十九。墓所広沢西来院、法号宝勝院殿蓮台清香大姉。墓の右側面につぎの和歌二首が万葉仮名で刻まれている(内田旭「遠江女流歌人小伝」『遠江郷土研究会誌』第二号)。
「美曽き須登麁玉川爾幣登礼婆伎倍乃林耳凉風曽布久
(みそぎすとあらたまがはにぬさとればきべのはやしにすずかぜぞふく)
祀賀茂県主霊畤歌
神無月今日者己登更時雨都都久佐葉母袖母乾間曽那き
(かみなづききょうはことさらしぐれつつくさばもそでもかわくまぞなき)」
森繁子筆短冊(浜松市鴨江 渥美静一氏蔵)