森繁子

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 森繁子(はんこ)はしげ子またはしげき子といい、暉昌の次女で、享保三年(一七一八)に生まれた。幼少から父の指導によって歌道を学び、また書・琴をもよくした。享保の終りころには歌会に出席し、国頭・方塾・政成(のちの真渕)の教えをうけている。真渕が江戸へ出てからは数多くの文通をしたので、その書体は真渕に酷似しているといわれる。【玉かしわ】天保四年(一八三三)繁子の詠歌を、森家十三代寿治の依嘱によって、その交友高林方朗(たかばやしみちあきら)が撰した歌集に『玉かしわ』一巻がある。
 「いつしかも春たちけらし梓弓ひくまの野べに霞たなびく」
 
 繁子は鎌田神明宮(磐田市)の神官袴田為寿を養子に迎えて父の職を継がせた。繁子は寛政八年(一七九六)七月六日没。享年七十九。墓所広沢西来院、法号宝勝院殿蓮台清香大姉。墓の右側面につぎの和歌二首が万葉仮名で刻まれている(内田旭「遠江女流歌人小伝」『遠江郷土研究会誌』第二号)。
 
 「美曽き須登麁玉川爾幣登礼婆伎倍乃林耳凉風曽布久
  (みそぎすとあらたまがはにぬさとればきべのはやしにすずかぜぞふく)
     祀賀茂県主霊畤歌
  神無月今日者己登更時雨都都久佐葉母袖母乾間曽那き
  (かみなづききょうはことさらしぐれつつくさばもそでもかわくまぞなき)」
 

森繁子筆短冊(浜松市鴨江 渥美静一氏蔵)