和歌会留書

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 前記「杉浦国頭家和歌会留書」には、その序文につづいて詠歌が全部会ごとに記されているが、ここでは享保七年(一七二二)正月の試筆と、享保十一年八月の月並会の歌を抄録する。
 
「    享保七壬寅年正月 試筆和歌
空にけさ見えてしつけき雨風も時に随はん年の印は  従五位下 藤原国頭
去年よりも春は来ぬれと今朝は先猶あらたまる千代のことふき
                         従五位下 藤原暉昌
筑波ねのしけきめくみは春風に八島の外も今朝霞むらん    紀 清興
宿にけさ幾世のかけを増かゝみ光り曇らぬ春を待えて     女 真崎
長閑しなけさは霞も空にみつやまと島根の春もしられて    賀茂政藤
   享保十一丙午年八月和歌会  方塾雑餉  兼題  湖上月明
沖つ風松に更行田子の浦に庭さへ澄る浪の月影        清興
鳰海や影は氷とさゆる夜も秋寒からぬ浪の上の月       保庵
秋のよの月の氷にかち人の渡りや思ふよはのうみづら     方塾
高野浦や夜々漕舟の行末も見えてさやけき秋のよの月     通泰」
 
 【六年間一九九回七十三人】留書にある享保七年から同十二年にいたる六年間の歌会回数は、総計百九十九回、出席延人数は二千三百五十九人で、一回平均一二人にあたる。出席七十三人の身分・職業は神官八人・僧侶十人・医師四人・庶民五人・法橋(ほっきょう)一人・尼三人・女子五人・不明三十七人となっている。この和歌会では国頭・方塾をはじめとして、清兼・真崎・其阿・清興・光治が主な歌人で、これにつづくものは保庵・通泰・安連・実栄・吉次・政盛らであろう。これは詠歌の数や、和歌会において読師・講師・雑掌・雑餉の役を数度勤めていることからも推察される(次ページの表参照)。
 留書に記された和歌会出席の人々のうち、八人について、その略伝を加えておく。
 
(表)講師・読師・雑掌・雑餉を果たした回数
 講師読師小計雑掌雑餉小計合計歌会出席回数歌数
国頭4 4  48169232
方塾369  413169231
清兼617  411132169
政藤156  3985131
其阿1 1  56119151
清興 11  67122156
光治 22  46133169
政盛112  023346
通泰 1111236990
近江守1 1  01  
保庵   1233114148
吉次   12335375
日沾    3332836
湛竜    2226272
吉興    2225052
保魚    22211
安連    111142168
実栄    11192121
活目    1112237
子練    1112934
吉庸    1112929
蔵丸    1111617
子孝    1111213
暉昌    111811
17173432255891,6892,189