金原清興

494 ~ 495 / 686ページ
 (8)金原清興 清興は八幡宮(当市八幡町)の神官で、国頭家和歌会における主要な一人であった。
 【近郊の歌会】この歌会の人々は時おり万斛・神立・竜禅寺・入野(以上現在浜松市)など、浜松の近郊におもむいて、花見・月見の歌会を催している。これらの歌会はいずれも前記月並歌会と同じく、国頭・方塾が主となって協力している。
 【甘露寺】まず享保九年二月二十日、万斛村(当市中郡町)甘露寺に梅花をたずねた。出席者は国頭・方塾・吉斉・吉次・実栄・日沾・清兼・安連・通泰・吉興・政成(真渕)である。
 【神立社】ついで同年四月五日には神立社(当市神立町蒲神明宮)に詣で、「社頭松」の題で催した。(詠草は中村清氏
蔵)この日国頭・清興・実栄・清兼・政成・方塾・安連・保庵・通泰らが出席している。
 【竜禅寺】さらに享保十二年二月十五日には、竜禅寺境内に会合、和歌は九人が各々五首ずつ、詩は一篇ずつ作るという、風雅な催しであった。出席者は国頭(志水)・方塾・紅波・真拆・慈法・実栄・浜純・久章・光治・鶴汀・無舌・竹渓らである(竜禅寺雅会記)。
 【臨江寺】享保十四年八月七日、佐鳴湖西岸の臨江寺に遊んだ。(詠草は三浦巌氏蔵)この日の出席者には国頭・方塾・茂則・富丸・春栖(真渕)・久章・茂則・在中の名が見える。
 【青楓亭】ついで享保十九年三月十二日、鎌田(磐田市)江塚吉年家の青楓亭に蒙庵・国頭をはじめ暉昌・方塾・真崎・繁子・真渕・信幸・理津・清兼・然満などが雅会を開いている(近藤用一「青楓亭に於ける賀茂真渕」『真渕翁研究』第二集)。