国頭と尽敬会

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 国頭は享保十九年(一七三四)浜松を中心とした遠江の神官たちに、度々日本書紀の講義を行なった。また崇道尽敬皇帝の祠を諏訪社の境内に勧請し、神官らを集めて書紀を会読し、これを尽敬会と名づけた(『古学始祖略年譜』)。この会名は日本書紀の撰者舎人親王の諡号崇道尽敬皇帝からとったものである。講義の内容は荷田春満の学風に準じ、書紀をもととして、日本民族が皇室を中心とし、神を渕源としている伝統的な信念を高揚しようとしたものであろう。
 【千年祭】享保十九年(一七三四)九月三日四日両日、浜松では尽敬皇帝千年祭式が挙行された。これは神道の教えが千年後の今も絶えないのは、舎人親王(天平七年没)の恩恵によるものであるから、それを感謝し奉祝しようという意見で行なわれたものである。祭式は国頭・暉昌を中心とした。