国満と尽敬会

496 ~ 497 / 686ページ
 延享三、四年(一七四六、七)国頭の後継者杉浦国満は、遠江の神官たちを集め、尽敬会を開催し、講師として日本書紀の講義をしている。【千三十年祭】延享三年六月に神立の蒲清兼家で、同四年四月二日に参野の桑原盛親家で、同年十一月四日に北島の大橋正真家などで尽敬会が開かれ、また明和元年(一七六四)には舎人親王の千三十年祭も行なわれるなど、国頭没後も国満を中心とした尽敬会が盛んに開催されたのである。のちにはこれが遠江各地にひろまっていった。このことは『古学始祖略年譜』延享四年の条に、
 「此年比折々諸家にて国満尽敬会を講ぜり、こは国頭荷田大人にならひて行ひそめし方にて、此事遠江国の神司とも所々にて行ひて、後には国中にひろまれりとぞ」
 
と記されていることでもわかる。