杉浦国満

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 国満は正徳五年(一七一五)五月十一日渡辺玄之の子として、後道(うしろみち)(当市千歳町)に生まれた。元文元年(一七三六)五月、二十二歳で杉浦家に養子して名を大学と改め、同年六月遊学のため京都に赴き、神官として修業すると共に和歌・国学を学んだ。この年七月二日春満が没したので、国満は春満の養子荷田在満および荷田延武の教えをうけたものであろう。同年十月二十二日国満は日本書紀伝授について、誓盟書を延武宛に提出したり、同三年十一月には在満に随行して大嘗会を直接見聞した。元文五年国頭が没したので、国満は大祝に補せられて諏訪社の神官となり、また寛保元年十月には従五位下に叙せられ、阿波守に任ぜられた。明和三年正月二十四日江戸からの帰途駿府で病没、享年五十二、墓所中島町六本松。その門人は次ページの表「杉浦国満門人録」に記すつぎの十三人である。
 
(表)杉浦国満門人録
入門年住所職名氏名
延享長上郡参野桑原内記盛敏
4長上郡竜光村神明社祠官伊藤外記藤原光伴
4敷知郡宇志村八幡宮神主片山長門守正信
寛延敷知郡新居駅住吉大明神祠官白井右内元珍
2長上郡笠井村住吉大明神祠官山下求馬為言
宝暦引佐郡井伊谷二宮大明神祠官中井数馬直兄
豊田郡内羽村白羽大明神神主山下千三郎安親
4三河国渥美郡吉田熊野社神主鈴木伊予重房
4不詳和田与市国為
6三河国猿投社西宮権職三宅丹次
12三河国八名郡加茂村神主加藤和泉守次美
13佐野郡垂木村雨桜天王祠官山崎多宮久樹
明和城東郡佐倉村池宮大宮司佐倉越前守信光